まず究極側は、鍋料理の本質を心得違いしている。鍋料理はいっしょに食べる人同士がくつろぎ、心を通い合い親しくなれる、またそのための料理だと言う。しかし、それならなにも、鍋料理に限ることではない。バーベキューでも、花見、月見の宴会でも、はたまた一本のヤキイモを分け合って食べても、心はなごみ親しくなる。だいたい人と人とが心を通い合うのに必要なのは、鍋料理がいいかバーベキューがいいかなどという技術論ではない。それこそもてなしの心なのだ!
よいか、カレーの真髄とはなにか!材料に変わった物を使うことか!?豚の代わりに、牛の代わりに、蟹を使うことか! そうではあるまい! カレーの真髄はスパイスだ。いかにスパイスと材料を取り合わせるか、それがカレーの真髄だ。ありふれた材料である豚肉を使って、味と香を重層的に構築してみせる。これこそがカレーの真髄というものだ。
今日の場合もそうだ。私に二度と会えないと思えば、その材料を一番美味しく食べられる料理法を見つけだす。それが本当に人をもてなす道だと思わぬか。 では聞くが、生ガキがカキの一番美味しい料理法か? オードブルに生ガキ、生ガキにレモン、決まりきった一皿ではないか! ここには真心を込めて人をもてなそうという真摯さも、新しい味を発見しようとする気概もない。世界中のうまい物を取り入れて、新しい味を発見するなどと能書きは立派だが、最初の一皿で馬脚を現しおった!
美食を芸術まで高める条件は、それは唯一、人の心を感動させることだ。そして人の心を感動させることが出来るのは、人の心だけなのだ。材料や技術だけでは駄目だっ!! それが分からぬ人間が究極のメニューだなどとぬかしおって、おまえには味を語る資格はないっ!