何もない状態が『無』じゃないんだよ。無というのは必ずしも『有』の対立存在ではありえない。君の言ってる無は、何も無い事、永遠の闇。だが、そこにはその闇を知覚している自分という存在があるじゃないか。全然無じゃないよそんなの。苦しみから解放されようとして死ぬというのならば、『苦しみから解放されたことを認識する自分』が必要なんじゃないのかい?君達は『自分が何も考えていない事すら認識できない』という事すら認識できない、その状態が想像できていない。
まあ、いいんじゃないかな。植物に名前をつけて可愛がる人も多いしね。異性への愛情と同じぐらいに想う人はどのぐらいいるのか解らないけど。それで他人を傷つける事がなければ、どんな相手を愛しても問題ないんじゃない?