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割りきった気分で、自分は未来への投資を行っている。そう考えればいいんだと、思うんですけどね。
それはとても簡単なことです。何故なら、みんな自分の背中を誰かに押してもらうことを待っているんです。一人の背中を押せば、その人がもう二人の背中を押します。
僕が今の僕の様な考え方を自然に身につけたのは、僕がこの日本に生まれ、尚且つ僕の実家が標準より裕福だったこと、そしてなにより僕の両親が素晴らしい人間だったことに起因するでしょう。
そういう罪深い存在であると承知した上でなお、生きていかなければならないのなら、せめて誰かの為に、それが自然な考え方じゃないですか?
そういう罪深い存在であると承知した上でなお、生きていかなければならないのなら、せめて、誰かのために。それが自然な考え方ではないですか?
それでも、僕たちは何万人もの飢える人たちに食事を振る舞うことができます。何故か?簡単です。僕らはただ、傍観している人たちの背中を押すだけなんです。
失われる可能性の一つを、別な可能性で埋め合わせる。それだけだ。
明確に何かがきっかけになって始めた、という意識はありませんね。まるで空気を吸うくらい、自然に活動を始めていました。
きっとそれが普通の対応なんでしょうね。でも、僕に取ってはそこで手をさしのべるのが普通だったんです。手を差し伸べなくてはならないといった義務感すら感じてはいないんです。あまりにもあたりまえで、無意識なんです。
自分の気持ちを素直に表せない、そういう人が大半なんじゃないかな。
可能性のある未来が残らなければ現在も意味がない。
ディールをやれば必ず、どちらか一方に関わる可能性の一つが失われる。
今の皆さんの気分からすれば、明日のことを考えろ、なんて言われると、何を馬鹿ななんて思われるかもしれない。でもね、今をどうやって生きるかってことばかり考えていると、やっぱり活力が湧いてこない。
詫びる必要ないって。必死だったのはこっちも同じだったんだから。
いくらバランス良くディールを行ったって、現実への影響は避けられない。だったらやらないのが一番いいと思わない?
眼に見えない神にすがるより、隣の人と手を繋ぐほうがよっぽど簡単です。
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