おれはこれから死ぬんだな 決定的に JOJOはいともすんなりそれを受け入れた 恐怖はなかった 痛みもなかった 後悔もなかった 「やるだけやったんだからな」 そう思った。 圧倒的悪の前にあるのは氷のように冷たい冷静な死にゆく自分を見る目だけだった
19世紀、それは、産業と貿易の発展が人々の思想と生活を変えた時代だ 依然! 食料不足や貧富の差が激しいにもかかわらず、大人も子供も「自分もいつか金持ちと同じようなくらしができるッ」このような幻想をいだいていた。 それは、嵐のようなすさまじい渇きだったッ!!
グイード・ミスタの人生観は少年時代から「単純に生きる」というものであった。寝ることを楽しみ、朝日の中の樹の枝や、動く雲の様子を見ることを楽しむ、ワインの香りを楽しみ、チーズをかじることを楽しむ。>これまでの人生、ミスタはとてもハッピーに過ごしてきた。
いつも考えるのは彼の「怒ってくれた事」だった。「なぜ彼はいきなり怒ったのだろう」でも、あの怒りは「恨み」だとか「嫌悪」だとか、人を「侮辱」するようなものはなにもない怒りだった。警官たちやおれの父親が「怒る」時とは大ちがいだ。まじになってこのオレを怒ってくれた。彼には何の得もないのに。彼のあの態度のことを考えると勇気が湧いてくる。ナランチャは彼とその仲間のために働きたい。「男っていうのはああいう人のために働くものだ」ひたすらそう思うようになった。