おれも、父さんや母さんと同じように、埋もれて死ぬんだと思うこと怖かった。 でもアニキは「前に進め」って、オレたちをはげましたんだ 笑いながら。 手の震えが、止まった。 夢中になって掘ると、土とか岩の声が聴こえるんだ。「ここがやわからいよ、こっちを掘ってごらん」 おれはその声にそって掘るだけだ。でもあの時、あそこで諦めていたら、オレたちは死んでた。助かったのはアニキのおかげだよ、アニキが、最後まで 諦めなかったから。
この杜王町の今回の事件に関わる仗助たちを見ていて、一つだけ言えることを見つけたよ。湖の町の若者は「黄金の精神」を持っているということをのォ、かつてわしらもエジプトに向かうときに見た「正義」の輝きの中にあるという「黄金の精神」をわしは仗助たちの中に見たよ。それがあるかぎり大丈夫じゃ。彼らの示したその「精神」は吉良の事件を知らない他の人々の心の中にも教えなくとも自然としみわたって行くものじゃ。そして、次なる世代にもな。この町はもう心配ないよ。
間は救いきれぬ。生きていく以上、どうあっても報われぬ者が出てしまう。全ての人間は幸せになどなれぬ。ならば救われなかった人間とは何だ。その一生は何をもって報われるのか。 答えはない。無限と有限に等しいのだ。救われぬ者がいなければ、救われる者が吐き出されない。ならば救済など、ただ巡るだけの金貨と同じだ。 人問は救われない。世界に救いなどない。だから死を記録しようと思った。物事の最後までを記録して、世界の終わりまでを記録して、一から最後までを検分する。その上でなら、一体何が幸せだったのか判別がつくだろう。 報われない者も救われない者も、その全てを一から見なおす事ができるのなら―何が幸福と呼ばれるものかを判断できる。世界が終わった後、この出来事こそが人間の意味だったと解るのならば無意味に死んでいった者達にも、総じて意味が与えられるのだ。故に世界が果てれば、人は、人間の価値というものを検分できる。 それだけが―唯一、共通の救いである。
痛い目見て、迷惑かけないと解らない気持ちだってあるさ。人生の底まで落ちて初めて、解る気持ちだってあるさ。綺麗なものに反発して、でもドロドロになって初めて、綺麗なものが恋しくなったりもするさ。痛みには優しさが必要で、暗闇が目立つにはお陽さまが必要で、どっちも馬鹿に出来ない。どっちも無駄なものじゃない。だから、つまづいて間違っても、それは無駄じゃないさ。「無駄にするもんか!」って思ってれば、きっと自分を育てる肥やしになるさ。
占いはね、占う者と占われる者との間で行われるやり取りだから、知りたいと思っている者には、占い師は答えなくてはならない。己の出来る限り全ての力で。決して疎かにしてはならない。どの職業でもそれは同じことだけど、目に見えない、形に出来ないことだからって嘘をついたり、できないことをさも出来るように振舞うのは、本気の相手にも失礼よ。いいえ、占いは他人の生きる方向―生き筋に関わることだから、失礼だけではすまないわね。だからこそ、本物の占い師は、自分の占いに自分の生き筋をかける
ひとつだけ言っておこう。君はぼくを乗り越えるといったが、君より9年も長く生きているから教えてやろう。他人を負かすってのはそんな難しいことじゃあないんだ。もっとも「むずかしい事」は!いいかい!もっとも「むずかしい事」は!『自分を乗り越えること』さ。ぼくは自分の運をこれから乗り越える!!