甘ったれてんじゃないわよ 人のことなんか あんたのことなんか みんな全部どうでもいいのよ 誰かに大事にしてもらおうなんて思うんじゃないわよ そうしてもらえる人は 運がいいの あんたはそんな運持ってないの ひねくれているあんたを 可愛げのないあんたを 今は誰も大事になんかしてくれないのよ だからせめて自分ぐらいは 誰にも望まれてないならせめて自分くらいは 自分のこと大事にしてやりなさいよね(マミコ:肋骨さん by吾峠 呼世晴)
過去を美化するのは心が弱った証拠だ。 昔の栄光を語りたくなるのは心が老いた証左だ。 誰かを下に置いて安心したくなるのは弱くなった証だ。 逃げ帰ってきた奴の面倒を見てやれるほど、世の中に余裕はない。 だから、追い落とす。追放する。 ああ、世の中ってのは厳しい。
味方なんてしないさ、中立だ。強いて言うなら物の見方って話だ。委員長ちゃんには委員長ちゃんの見方があり、ご両親にはご両親の見方がある。そして第三者には、どちらが正しいかなんてわからないさ。いや――正しさなんて、最初からない。あるのは正しさじゃなくて都合だ。
卑怯や陰湿でも足りないのなら、悪意や害意をもって臨めばいい。 嫌悪と憎悪をかき集める方法なんていくらでもある。 人は人を嫌うのに理由を求めない。なんかムカつく、なんかいやだ、なんかキモい、なんだって人を嫌う理由にはなるのだ。
それにしても、リア充は「やっべガッコマジだりぃ。うは!夏休み中に教科書失くしたし!」とか言いながらなんであいつらあんなに学校大好きなの?毎日来るよね。心にもないことを言うのがリア充なのだろうか。つまり、嘘つきはリア充の始まりである